じまログ

通り過ぎたコンテンツたちの記録

何者(2016)

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私はおよそ就活というものにまともに取り組んだ経験がない。

 

二十歳で音楽の専門学校を出た。一応、本当に一応1社だけアパレルを受けてみたけど、「音楽の学校を出たのにどうしてアパレルに?」に全く答えられなくてすぐにやめた。それが私の就活経験のすべてだ。

 

そこから一部の友人たちのように、夢へ向かって本気で走ることもなかった。ふわふわへらへらと、薄ぼんやりとした憧れだけを追いかけながら、フリーターをしながらたまに舞台の上に立った。22歳になっていた。一斉に社会人になったかつての同級生たちの姿が目に入って、なんとなく、会社員の真似事をしたくて派遣OLになった。なぜかすぐに正社員の話が出て、勉強して技術畑に転向した。年の数の一文字目が2から3に変わる頃、気付いたら大手企業の技術職になっていた。

 

だから正直、いわゆる「お祈り」され続ける絶望とか、内定が全く出ない苦しみとか、まったく分からない。経験がない。電車で、街で、はたまた自社のエントランスで、馴染まないスーツに身を包んだ彼らとすれ違うたび、その心労を「自らも来た道」として慮ることも難しい。

それでも、この映画で描かれる彼の、彼らの心情には、残酷なほど心当たりがあった。

 

がむしゃらに、足を縺れさせながらも夢へ手を伸ばし続ける周りの姿の眩しさと、それを傍観し冷笑することで己を保とうとする、何もしていないだけの自分の優位性を確立せんとする

胸の奥がぐっと沈んでひりひりする、あの嫌な感覚

誰かと自分の立ち位置を比べて、安心して、そんな自分に吐き気がするあの感覚

 

ああああああ懐かしい、と思いながら噛み締めるように物語を堪能した。それが就活という形で浮き彫りになろうがなるまいが、やはり若者の心の芯というのはいたって普遍的なものなのかもしれない。

 

特に心に残った台詞があった。

光太郎は自分の人生の中でドラマを見つけて、その主役になれる人」 

他人からそう形容される彼が羨ましいなと思うと同時に、実は誰だって今日からでもそういう人になれるんだよなあ、と元若者としては思う。何者かになろうと踠いて踠いて、結局それが分かりやすい形で結実しなかったとしても、自分の頭で考えて目の前の選択を積み重ねると、案外後で振り返ってみたときに中々いい感じのドラマが仕上がっていたりする。先に見つけられなくても別に良いのだ。そして、みんな自分の人生の主役からは降りたくても降りられない。なれる、なれないの話ではなくて、なってない人なんて実はどこにもいない。

 

どこかふっきれた主人公の背中に、中田ヤスタカ×米津玄師の音楽が被って、最高に胸がスッとするエンドロールだった。

渋谷のミニシアターあたりで見たい、素敵な青春偶像劇だった。